かかりつけ医として
3代70年
みなさまに寄り添い
地域医療の充実に努めています。
医療法人豊友会 諏訪豊田診療所
院長 小松 佳道
長野県諏訪市の内科・小児科・呼吸器内科・アレルギー科 医療法人 豊友会 諏訪豊田診療所
医療法人豊友会 諏訪豊田診療所
院長 小松 佳道
諏訪市豊田有賀の県道交差点、有賀峠登り口近くに位置する、のどかな診療所です。待合いや診療所から眺める中庭の木々や花々が四季の移ろいを見せ、患者さんや職員の気持ちを和ませています。患者さんが安心して受診できるよう、職員一同、日々研鑽を続けています。
平常は豊田診療所のほか、山間部(上野・覗石・板沢・後山)への出張診療(月2回)を行い、在宅診療にも力を入れています。
また、諏訪赤十字病院をはじめ拠点病院との連携を密にして、患者さんのどのような状況にも対応できる体制を心がけています。
病気や体調について気になることや不安なこと、診療について知りたいこと、アドバイスを受けたいことなど、いつでも親身に相談できる“地域のお医者さん”をめざしています。
諏訪市の山間部(上野・覗石・板沢・後山)への出張診療を、祖父の小松卓郎が創めたのは昭和17年のこと、今から70年以上も前のことです。昔のままの有賀峠の険しい山道を、馬の背に乗って診療に向かっていたと聞きます。当時は、後山からさらに奥の椚平(くぬぎだいら)までも行っていました。車も通らない時代、患者さんや家族の難渋も計り知れません。
その頃、高血圧症は国民病と言われるほどのものでしたが、祖父は血圧測定の定着と食生活における減塩指導をいち早く取り入れ、地域の人たちを熱心に指導しました。
昭和35年、諏訪市の事業として保健師による保健活動が加わり、協同して出張診療を行うことになりました。その後昭和52年からは父の小松道俊が引き継ぎ、すでに進展していた高齢化や老々介護の実態を目の当たりに、村の人々の暮らしを見つめながら、親しみを込めて診療を続けてきました。
そして平成25年から私が引き継いで、70余年に渡る出張診療を続けています。道路は格段に整備され冬季は除雪車が入るようにもなりました。しかし高齢化はさらに進み過疎化が進んでいます。先々を心配しながらも、初代から営々と続けてきた山間部診療の小さな明かりを灯し続け、祖父・父のあしあとを辿りながら私も頑張っていきたいと思います。
この出張診療は、諏訪市の西山地区の上野・覗石(のぞきいし)、板沢・後山(うしろやま)の4地区を対象に、月に2回、1回に2地区ずつ巡回しています。
先代の父・道俊が描いてきた小人の絵と、物語をあわせた童話です。
やさしい色彩の絵と心にそっと響くようなお話だと思います。
初代所長は現院長小松佳道(私)の祖父小松卓郎です。祖父は日本大学附属病院勤務を経て昭和13年から富士見高原療養所(現富士見高原病院)に勤務し、昭和14年、請われて当時の湖南村にあった製糸会社数社が運営する「東映社病院」院長に就任、次いで昭和16年、上諏訪町・豊田村・四賀村の合併に際し、豊田地区の宿願であった診療所が旧村役場庁舎(現在地)に創設されることとなり、翌17年、招かれて「諏訪市豊田診療所」初代所長に就任しました。その後昭和35年には、同じく湖南村・中洲村の諏訪市への合併に伴って設立された「諏訪市湖南診療所」所長をも兼務することになりました。
両診療所にはそれぞれ、市関係者や議員など複数の委員で構成する運営委員会が設けられ、院長との合議により医療方針が決定されましたが、実質経営は祖父に委ねられました。祖父は豊田診療所就任当初から有賀峠を越えた山間無医地区住民や豊田など近隣住民の公衆衛生の改善・病気予防に情熱を傾け、当時特に多かった脳卒中の予防活動に心血を注いで、減塩運動の草分けと言われました。それらが基となり、昭和35年には諏訪市保健事業の一環として山間地出張診療制度が生まれ、以後今日まで当診療所との協働で、上野・覗石・板沢・後山での定期診療を祖父から私まで三代にわたり続けています。
昭和52年、病の祖父に代わり岩手医科大学でアレルギーの研究と診療、後進の指導に当たっていた父小松道俊が診療所を継承、祖父の遺業を継ぐとともに、医師会をはじめ諏訪市や地域中核病院と連携して地域医療の向上のために邁進しました。この間、父の手で二度目の診療所改築が行われ、運営委員会が解消されて名称も「諏訪豊田診療所」に変更されました。
そして平成25年、予期せぬ病に倒れた父に代わり、諏訪赤十字病院呼吸器科に勤務していた私が引き継ぐことになりました。私は子供の頃から、昼夜を問わず診療にいそしみ、高い理想を持って様々な地域医療活動に熱く取り組む父の姿を見て育ちました。地域医療に生涯を捧げた先代二人の遺志を胸に刻み、七十数年に及ぶ歴史の意義を大切にし、病院勤務の経験を生かしながら在宅医療にも力を入れ、身近なかかりつけ医として、地域の皆様とともに地道に歩んで行きたいと願っています。